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生きるとは命を頂くということ(鹿のさばき方)

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(2023.1.29)

※鹿のさばき方があるので少しショッキングな写真が含まれます。閲覧する際はご注意ください。

今回社長は仕事仲間である井戸さんに誘われて鹿のさばき方について学んできました。井戸さんは自然と共に生きる人で、狩猟はもちろん森づくり、アウトドアガイド、林業、漁業、環境教育、インタープリターなど、なんでもこなす超人的な方です。
この度は、NPO法人 富士山クラブ主催のイベントの講師の一人として井戸さんがいらっしゃったので、このような機会をいただくことができました。

鹿をさばくことと森にはいったいどんな関係があるのかと思うかもしれませんが、獣害対策とジビエ利活用などの観点から、実は大きな関係性を持っているのです。
以前のブログでも少し書かせていただきましたが、鹿が増えすぎてしまったことで植えた苗木の食害が深刻化しています。また、自生している草や若葉などもキレイに食べ尽くしてしまうので、植生が回復できず裸地化して表土が流され、それは災害にも繋がっています。
このような森への悪影響を考え、獣害駆除の対象になってしまったシカさんですが、元をたどれば根本の原因は、実は人間によるものかもしれません。

また井戸さんが教えてくれたのですが、獣害駆除された鹿の10%程度しか肉として使われないそうです。さらに1頭100kgの鹿が獲れたとしたら25kgしか肉がなく、もも肉、背中、ロースは使われやすいのですが、他の部位を美味しく食べるためにはとても手間がかかるため、獲った獲物をすべて活かすことは大変難しいとのことでした。
しかし人間の都合で命をそんな風に粗末にしたくはありません。頂いた命はしっかり頂いて、できる限り活かしてあげるのが礼儀であり、生きるということだと社長は常々思っているので、井戸さんと共にこの問題に向き合って解決したいと強く感じました。

みなさんは「ジビエ」とは何かご存知でしょうか。わたしは最近知ったのですが、「ジビエ」とはフランス語で、狩猟によって捕獲された野生鳥獣、またはその肉のことを指します。
獣害対策によって捕獲されてしまう鹿を、ただ森を育てるための無駄な死とするのではなく、普段から口にしている豚や牛など畜産のように、ジビエとして命を有難く頂戴するという利活用です。
もちろん命ある動物ですから、生きているときはかわいいなと思います。
しかしスーパーなどに並んでいるブロックのお肉に対して、「かわいい」や「可哀そう」という感情を抱くことはなかなかありません。 だれかが生きている動物をさばき、普段から見ている「お肉」にするという作業を行っているから、なんのためらいもなくわたしたちはお肉を食すことができています。

 

やはりこのような動物の死と対面する企画への参加は、なかなか勇気がいるものではありますが、女性や子どもの参加者も何名か見受けられました。 鹿のさばき方を学ぶと同時に、大切な命の授業でもあります。

 

鹿をさばいているときは、まだ内臓などあたたかいそうです。
こうやって苦労して命をいただいているからこそ、好き嫌いなどせずに残さず食べなければという気持ちに繋がっていくのかもしれませんね。
また、社長は残った皮も頂戴してきました。何を始めるかと思いきや、独学でやり方を調べ、鹿皮をなめしていました。
動物の皮は時間が経つと硬化が進み、どんどん腐ってしまいますが、なめしにすることで保存性が高まり、昔の人は着るものなどに利活用していました。

 

森への獣害という点から見ると困りごとが多い鹿ではありますが、もちろんすべて鹿が悪いわけではありません。これから何年も先の未来へ、緑多き森林を守っていくために、獣害対策をしながら、その大切な命を余すことなく利活用できることの大切さをこの企画から学ばせていただくことができました。

記:ハヤシ

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